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東京高等裁判所 平成4年(ネ)3039号 判決

控訴人

株式会社三越

右代表者代表取締役

津田尚二

右訴訟代理人弁護士

河村貢

豊泉貫太郎

岡野谷知広

被控訴人

株式会社文藝春秋

右代表者代表取締役

田中健五

右訴訟代理人弁護士

古賀正義

吉川精一

山川洋一郎

中川明

鈴木五十三

喜田村洋一

林陽子

右訴訟復代理人弁護士

小野晶子

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  控訴の趣旨

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人は、原判決別紙一記載のとおりの謝罪広告を同一記載の記載条件のとおり各一回掲載せよ。

3  訴訟費用は、第一、第二審とも被控訴人の負担とする。

二  控訴の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  控訴人は百貨店等を営む株式会社であり、被控訴人は「週刊文春」その他の出版物を発行する出版社である。

2  控訴人は平成二年五月二九日から同年六月三日まで、東京都中央区日本橋所在の控訴人の本店において「第二十回記念茶美の会古美術茶道具展」と称する古美術・茶道具の展示即売会を開催した(以下「第二〇回茶道具展」という。)。なお、控訴人は昭和六三年に「第十八回茶美の会古美術茶道具展」を開催している(以下「第一八会茶道具展」といい、第一八回茶道具展と第二〇回茶道具展とをあわせて「茶道具展」という。)。

3  被控訴人は、平成二年五月三一日ころ、「週刊文春」六月七日号を発行、発売したが、同誌の目次(二九頁)に「第二のニセ秘宝事件 三越が六百万円で売る「茶杓」の真贋」との見出しを掲げ、原判決別紙二のとおり、同誌四〇頁から四四頁にかけて、「スクープ 第二のニセ秘宝事件 三越が六百万円で売る「茶杓」不昧公愛用の真贋茶道界騒然!」との見出しで、控訴人が開催した第一八回茶道具展において販売され、第二〇回茶道具展において販売のため展示された松平不昧作の茶杓に関する記事を掲載した(以下「本件記事」という。)。その中には、以下のような記述部分がある。

(一) 「同じ茶杓が一昨年にも出品!?」(同誌四〇頁の中見出し)

(二) 「その反省からスタートしたはずの坂倉三越にも古美術贋作疑惑が発覚した」「それにしても老舗に反省がないのはなぜだ!」(同頁中リード部分)

(三) 「古美術・茶道具の展示即売会「茶美の会」に贋作品が出品されている―という疑惑が持ちあがった」「"三越美術部よ、またか"と思わせるような事実が書かれていた」(同頁第一段)

(四) 「〈結論は、この二つの茶杓は別のものであり、どちらかが贋作である〉」「よもやと思わせるような贋作疑惑ではある」(同誌四一頁下段)「専門家に取材してみるとほとんどの人々が"疑惑"を認めたのである」「しかも同じ銘のものを同じ人に贈るというのは考えられないから、どちらかが贋だというのも間違いないと思います」(同誌四二頁一段目)「専門家B氏も投書の言う"疑惑"は当然だという」(同頁二段目)「松江や福知山の郷土史家たち」からの返答として「同じ銘の茶杓を大名仲間である不昧公から龍橋公に贈るなんて考えられないし、必要もないはず」(同頁四段目)「直系の子孫も「知らない」」(同頁中見出し)「取材すればするほど"疑惑"は深まる」(同誌四三頁上段)「全く同じ文意、文脈の手紙を同じ極月に二度(略)書き送るなどありえない」(同頁二段目)「たしかに"疑惑"だらけの名品ではある」「"三越"の名で商売している割に贋作を調べる誠実さがまるで感じられない」(同頁三段目)

(五) 「三越部長は責任なしと回答」(同誌四三頁中見出し)「同一銘の茶杓が出品されていることなど気がついてもいなかった。不勉強もいいところである」「しかし返事はもっとひどかった」(同頁一段目から二段目)「それ以上に疑問があるのは三越の対応だろう(略)誠実さがまるで感じられない」(同頁三段目)「三越美術部の(略)無責任な態度である。誠意があれば、これだけ不審な状況を悟れば、第三者の意見を聞くなり」(同頁四段目)「投書氏のような専門家ならずとも、三越のこの対応には首を傾けざるを得ない」(同頁五段目)「〈古美術道具の粋とも(略)一同に揃えました〉とまで書いてあることの「責任」がとんとわからないらしい」(同誌四四頁二段目から三段目)

4  さらに、被控訴人は、週刊文春六月七日号の広告を、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞および日本経済新聞の各紙の平成二年五月三一日付朝刊に掲載したほか、JRや地下鉄等においても同誌の吊り広告を行ったが、これらの広告において、被控訴人は、「スクープ 茶道界騒然!三越が六百万円で売る「茶杓」の真贋、第二のニセ秘宝事件」と表示して、控訴人があたかも贋作の茶杓を販売しているかのような表現を一般大衆に向けて行った(以下、同誌の見出し、本件記事及び右広告を総称して「本件記事等」という。)。

5(一)  控訴人は、一般顧客を対象とする百貨店を経営しており、販売する商品の選別について常に慎重な検討、審査を行い、また、従業員の顧客に対する対応にも常に細心の注意を払い、それゆえ顧客の信用を得ていたものであるから、その販売する商品が贋作であり、その営業態度が不誠実である旨報道されることは、控訴人の信用にとって致命的である。

(二)  しかし、被控訴人は、3記載の各見出しにより、控訴人が贋作の茶杓を販売し又はそのために展示しているかのような表現をし、同(一)及び(二)の記述により、茶道具展に出品された茶杓が贋作であり、控訴人が贋作を何ら反省することなく再度販売しているかのような表現をし、同(三)の記述により、控訴人が贋作品を販売のために展示しているかのような表現をし、同(四)の記述により、控訴人が贋作の茶杓を高額で販売し又はそのために展示しているかのような印象を読者に与えた。右見出し及び記事は第一八回茶道具展及び第二〇回茶道具展において販売され又はそのために展示されている茶杓の何れかは贋作であるという事実、少なくとも三越において贋作が売られているという印象を抱かせる虚偽の事実を記載したものである。

(三)  また、被控訴人は、3(五)の記述により、控訴人が極めて不誠実な営業を行っており、贋作を売っても何らの責任もないと控訴人が広言しているかのような表現をしたものである。これは、控訴人の販売姿勢、商品管理等につき不誠実、無責任との非難を加えるものであるが、被控訴人が茶杓の真贋及び控訴人の対応のいずれについても極めて不十分かつ不適切な取材しかしなかったことにより前提たる事実を誤った意見言明である。

(四)  以上のとおり、被控訴人は、本件記事等において、一般大衆に対し、控訴人本店で開催された茶道具展において販売され又はそのために展示された茶杓が贋作で、控訴人がこれを極めて高額で販売しているとの虚偽の事実を摘示し、さらに、その営業態度に非があるかのような誤った批判をし、控訴人の名誉及び信用を著しく毀損した。

6  よって、控訴人は、被控訴人に対し、名誉回復のための処分として、原判決別紙一記載のとおりの謝罪広告の掲載を求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1ないし4までの各事実は認める。同5は争う。

三  抗弁

本件記事等が控訴人の名誉を毀損するとしても、これらは、二回の茶道具展に出品された松平不昧作とされる二本の茶杓のうち、何れかに贋作の疑いがあるとの意見と控訴人の営業態度に対する意見を表明したものであり、公共の関心事について、公益を図る目的で書かれたものであり、意見の前提をなす事実がその主要な部分について、真実であるか、少なくとも被控訴人において真実と信じるに足りる相当の理由を有しているから、被控訴人は、名誉毀損に基づく不法行為責任を負うものではない。

1  控訴人は、有名百貨店として一般消費者の信用を集め、その信用を基礎としてその業務を行っているのであるから、そこで販売されている商品である古美術、茶道具の真贋や、控訴人の経営態度は、公共の関心事である。

2  本件記事等は、公共の関心事である百貨店の販売する茶杓の真贋について、一般読者の正当な関心に応えるものとして被控訴人の取材結果を報道したものであるから、公益を図る目的に出たものということができる。

3(一)  本件記事等は、控訴人が開催した第一八回茶道具展及び第二〇回茶道具展において販売され又はそのために展示された「不昧公茶杓」の何れか一方が松平不昧の作でない疑惑が存在するという意見を報道し、併せて控訴人の営業態度に論評を加えたものであって、本件記事等で摘示した意見の前提となっている事実は、すべて真実である。

(二)  仮に、本件記事等の摘示した意見の前提となる事実が真実でないとしても、被控訴人は、次のとおり、客観的に可能とされる取材を尽くした上でこれを真実と信じて報道したのであるから、本件記事等の摘示した右事実を信じるに足りる相当の理由がある。

(1) 平成二年五月二二日、被控訴人「週刊文春」編集長あてに一通の匿名の投書が送られてきた(以下「本件投書」という。)。本件投書には、控訴人美術部が主催する第二〇回茶道具展に松平不昧作の茶杓が出品されるが、同じく松平不昧が朽木龍橋に贈ったとされる同じ銘の別個の茶杓が、ほぼ同文の手紙と共に、二年前の第一八回茶道具展にも出品されていた事実が摘示され、どちらか一方又は双方の茶杓が贋作ではないかとの疑問が呈示されており、併せて控訴人の担当課長とのやりとりと、控訴人の経営姿勢に対する批判が指摘されていた。

「週刊文春」編集部では、投書の内容が具体的で説得力があり、茶杓の出品者や控訴人の内部事情に詳しい人が内部告発のために書いた可能性があること、控訴人が以前にも「ペルシャ秘宝事件」で贋作を展示して世間の批判を浴びており、投書の内容が真実であれば、記事として取り上げる価値があるとして、本件記事の取材チーム(以下「被控訴人取材チーム」という。)を結成して、茶道具展出品の茶杓の真贋につき取材をすることとした。

(2) 被控訴人取材チームは、平成二年五月二四日、青山玉鳳堂において、第一八回茶道具展と第二〇回茶道具展のカタログを入手したところ、投書の指摘したとおり同じ銘の茶杓が載っており、投書の内容が虚偽とはいえないことが確認された。

(3) 被控訴人取材チームは、本件記事を作成するにあたり、社内の文献資料、名鑑を調査して、竹芸家であり茶杓の最高権威者である池田瓢阿(本名池田英之助)、茶杓研究の第一人者である東京教育大学名誉教授の西山松之助及び美術評論家の白崎秀雄に取材を申し込むこととした。白崎秀雄には取材を断られたが、池田瓢阿及び西山松之助には直接取材した。また、松平不昧ゆかりの松江市で同人の研究資料を保管している松江市郷土資料館、京都府福知山市に在住する朽木龍橋の子孫朽木彰や郷土史家の根本惟明にも取材したほか、第一八回茶道具展に松平不昧作の茶杓を出品した古美術商の株式会社池内美術(以下「池内美術」という。)の代表取締役の池内克哉、第二〇回茶道具展に同様の茶杓を出品した古美術商の飯田好日堂の当主飯田国広にも取材を行い、控訴人に対しても取材をした。

他方、被控訴人取材チームは、第一八回茶道具展及び第二〇回茶道具展出品の各茶杓に真作であることを確証する趣旨で箱書をした小堀宗慶に対して取材しなかったが、同人が大名家の茶道具に関して最高の権威者であるかどうか疑問であるし、自分の箱書の信用性が疑われるような記事の取材に対して客観的な見解を述べることが期待できないことを考慮すれば、重要な取材を怠ったものとはいえない。

(4) 被控訴人取材チームは、以上の取材により、次のような情報を得た。

(ア) 池田瓢阿の取材からは、茶杓には贋作が多いこと、松平不昧の字は癖があるので真似しやすいこと、松平不昧の別邸が存在した「大崎」という地名が手紙中に出てくるところが贋作らしいこと、勉強のための模作もあること、茶道具の世界では真贋が究め尽くし難いこと、書き物や来歴を見ないと真贋が判断しにくいこと、両方とも贋作の可能性もあることなどの情報を得た。池田瓢阿は、取材に先立ち、自分が被控訴人の取材に応じたことが明らかにされると、商売の邪魔になり業者に恨まれるので、匿名にしてほしいと断わった上で、茶道具に詳しい同人の子息との間で、両方の茶杓のうち一方について贋作の可能性が極めて高い旨の話をし、前記投書の指摘する疑惑を否定しなかった。

(イ) 西山松之助からは、手紙は同じ内容なのでどちらかが贋作であること、茶杓は実物を見なければ判断できないが、どちらかといえば第二〇回茶道具展出品の方が真作に近いこと、一方は筒が真作で、他方は茶杓と手紙が真作であるという場合も考えられ、一方が全部真作で一方が贋作とはいかない、茶杓には贋作が多く、全国に約二〇〇本ある利休作の茶杓のうち、真作はせいぜい三〇本程度と思われるなどの情報を得た。結局、西山松之助も、両方の茶杓に関する贋作の疑惑を肯定し、これらの茶杓がすべて真作であるとは話さなかった。

(ウ) このほか、松江市郷土資料館への電話取材により、同一の銘を同一の人物に贈る例は聞いたことがない、松江市にある松平不昧の資料を見る限り、朽木龍橋に二度茶杓を贈ったという資料はない、大名の手作りの茶杓では贋作を作りやすい、松平不昧が晩年のわずかな時期に二度同じ文面の手紙を書くのも納得しにくいなどの情報を得た。また、根本惟明にも電話取材を行い、同一銘の茶杓を同一人物に贈ったという話しは聞いたことがなく、朽木龍橋にそれが贈られたという資料も読んだことがない、文人同士での付き合いで同一文面の手紙があるのは不自然であるなどの情報を得た。朽木彰からも、松平不昧の茶杓のことは知らないといわれた。

(エ) 被控訴人取材チームが池内克哉及び飯田国広から取材した結果は、本件記事記載のとおりであったが、結局二本の茶杓の真贋に関する疑問は解消されなかった。また、控訴人からの取材内容も、本件記事記載のとおりであって、控訴人の対応は、二本の茶杓のいずれかが贋作であるという疑念をつのらせる結果となった。

(オ) 被控訴人取材チームは、これらの取材と並行して、茶杓、茶道具に関する多くの文献を丹念に調査、読破した結果、控訴人の販売した松平不昧作の二本の茶杓のいずれか一方は贋作である蓋然性が極めて高いと判断した。

四  抗弁に対する認否及び控訴人の主張

1  抗弁1及び2の事実は知らない。

2  抗弁3について

(一) 抗弁3(一)記載の事実は否認する。

被控訴人は、大見出しで「第二のニセ秘宝事件」「三越が六百万円で売る「茶杓」の真贋」「茶道界騒然!」と表現し、本件記事中でも「それについても老舗に反省がないのはなぜだ!」「結論は、この二つの茶杓は別のものであり、どちらかが、贋作である」などと記述しており、これらの記述からみれば、本件記事等は、被控訴人が茶道具展に出品された二本の松平不昧作の茶杓のいずれかが贋作であると決めつけた上で、控訴人の経営姿勢等を非難したものである。しかし、茶道具展に出品された二本の茶杓は、その来歴や、小堀宗慶ら茶道具鑑定の第一人者が箱書をし、真作であると評価したことからみて、真作であるから、本件記事等の内容は、真実ではない。

(二) 同(二)について

被控訴人が本件記事等の摘示事実を真実と信じるに足りる相当の理由を有しているとの主張は争う。被控訴人は、その取材先、取材方法、取材結果の評価のいずれにおいても著しく不当で偏見に満ちた取材に基づき、いずれかの茶杓が贋作であると軽率に判断して、本件記事等を書いたものである。

(1) 同(1)記載の事実は否認する。被控訴人がその存在を主張する「投書」は、被控訴人がその原本も封筒も破棄したとしていること、本件記事の極めて多くの部分が「投書」を引用していること、投書の日付と内容との間に矛盾があることなどから、「投書」があったこと自体に疑問があり、被控訴人が主張している「投書」は、被控訴人において本件記事作成後に作成されたものと推認される。

(2) 同(2)記載の事実は知らない。

(3) 同(3)記載の事実のうち、被控訴人が各取材先に取材したこと、小堀宗慶に取材をしなかったことは認める。被控訴人の取材先の選択及び取材方法は、次のとおり、極めて杜撰であった。

(ア) 本件記事等は茶道具に関するもので、茶杓や手紙のやりとりも江戸でされたのであるから、松江市の資料館や福知山市の郷土史家、茶道と無関係な朽木龍橋の子孫に対する取材は、的外れである。

(イ) また、池田瓢阿、西山松之助両氏への取材も、図録の複写を示して取材したものであり、このような方法により、実物をみても容易でない茶杓の真贋の判断を求めることは不適当である。

(ウ) さらに、被控訴人は、控訴人に対する取材として、投書者と控訴人美術部のH(服部智三郎)課長とのやりとりを本件記事に記載する以上、同人を取材すべきであるのに、これを怠ったほか、控訴人に対して実際に行った取材も、松平不昧作の茶杓が出品される前の時点で、予告もなく閉店直前に控訴人を訪ね、作業中の吉田荘太郎部長(以下「吉田部長」という。)に対してわずか一、二分の立ち話をしただけであり、極めて不適切であり、控訴人の意見、弁解などもともと聞く意思がなかったものといえる。

(エ) 被控訴人としては、遠州流の家元で、茶道具鑑定の第一人者であり、二本の茶杓の双方に箱書をした小堀宗慶を取材することが最も重要であり、現に西山松之助から取材を勧められ、池内克哉からも話を聞いていたにもかかわらず、取材をしなかった。

(4) 同(4)記載の事実は否認する。

被控訴人は、取材先からの取材内容及び結果を、意図的に歪曲した。

(ア) 池田瓢阿は、被控訴人の取材に対しても、茶杓の真贋を究め尽くすのは困難で、実物を見ないと判断できず、茶道具展に出品された松平不昧作の茶杓はいずれも真作と考えられ、少なくとも第一八回茶道具出展品の品は真作に間違いない、同じ銘の茶杓が同一人に贈られることもないではないと述べている。

(イ) 西山松之助は、被控訴人の取材に対して、写真では分らないとしながら、茶杓及び手紙は第一八回茶道具出展品の作が、筒と外箱は第二〇回茶道具展出品の作が真正であるとしている。しかし、同人の説明には不統一な部分があり、池田瓢阿らが西山松之助に鑑定能力がないとしていることにかんがみれば、同人の説明は信用できないものであり、これを斟酌するにつき十分な注意を払う必要があったものというべきである。

(ウ) さらに、池内美術及び飯田好日堂への取材からも、同一人が作った同一銘の茶杓が複数あってもおかしくないし、同じような手紙が二つあることについても問題はない、小堀宗慶の箱書がある以上、双方とも間違いなく真作であるとの情報を得ており、これらの古美術商が皆一流であることから、被控訴人は、その説明に十分注意を払い、内容を吟味すべきであった。

(エ) しかし、被控訴人は、池内美術及び飯田好日堂に対する以上の取材内容を無視し、また、池田瓢阿、西山松之助とも、写真では分らないと断わっており、指摘した疑問も相互に異なる上、被控訴人が取材したという書跡鑑定家が双方の手紙とも贋作であるとのさらに異なった指摘をしているのに、茶道具展に出品された茶杓の少なくとも一方が贋作であると断定している。被控訴人のこのような取材結果の評価は著しく不当であり、結論をあらかじめ定めてこれにそった記事を作り上げるために取材結果を無理やり自己に都合よく援用したにすぎない。

第三  証拠

証拠関係は、原審及び当審訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一1  請求原因1ないし4の各事実は、当事者間に争いがない。

2(一)  成立に争いのない甲第一号証によると、本件記事の見出しは、「スクープ 第二のニセ秘宝事件」との記載の傍らに大きな文字で、「三越が六百万円で売る「茶杓」の真贋」との記載がされていること、ついで記事本文においては、まず被控訴人に郵送されてきた投書の内容が紹介され、その引用として、控訴人の本店で開かれている茶道具等の展示販売会である第二〇回茶道具展に出品されている松平不昧作の茶杓について、一昨年の第一八回茶道具展でも同じ銘で同じような内容の手紙のついた茶杓が出品されていた事実が述べられ、「結論は、この二つの茶杓は別のものであり、どちらかが贋作である」と記載されていること、しかし、これに続く記事は、投書の結論を直ちに肯定せず、その真偽を検証する形で論旨を進めており、二本の茶杓について専門家等からの取材結果を記載し、茶杓が真作であることについて、「"疑惑"を認めた」、「"疑惑"は深まる」、「"疑惑"だらけの名品ではある」といった、強い疑惑が存在するという内容の記述をしたうえ、こうした疑惑に対する控訴人の対応を記載し、誠意がなく無責任である旨指摘していること、そして、最終的には、茶道具の世界には贋作が多数ある、という内容で記事が締めくくられており、二本の茶杓のいずれかが贋作であるという断定的な結論を示している記載はないことが認められる。右認定の事実によると、一般的な読者が本件記事を読んだ場合に理解するところの本件記事の内容は、控訴人で開催された第一八回茶道具展及び第二〇回茶道具展において販売され又はそのために展示されている二本の松平不昧作の茶杓のうち、いずれかが贋作ではないかという強い疑惑があるということ及びこうした疑惑が提示された際の控訴人の対応には問題があることであるというべきである。

又、前記争いのない事実によれば、本件記事の広告は、本件記事の見出しとほぼ同一であり、茶杓が真作であることに強い疑惑があることをうかがわせるものというべきである。

(二)  これに対して、控訴人は、本件記事等において、茶道具展において販売され又はそのために展示された松平不昧作の茶杓は贋作であり、これを販売し又は展示する控訴人の営業態度に非がある旨が表現されていると主張する。確かに、前記甲第一号証によると、本件記事には、「スクープ 第二のニセ秘宝事件」「「なぜだ!?」でおなじみのあの三越事件の発端となったのが、「ペルシャ秘宝展」の贋作問題だった」「ましてや、三越美術部には"前科"があるのだから」といった表現が存在することが認められ、これらの表現は、読者に対し、かつて控訴人が展示した「ペルシャ秘宝」に贋作疑惑が発覚した事実を想起させ、控訴人が展示販売する古美術に再び同様の疑惑が生じたのではないかという疑念を与えかねないものであり、贋作の蓋然性をより強く印象づける効果を有するものというべきであるが、本件記事等には、前記のとおり、贋作であるという断定的な事実摘示がなされてはいないのであり、控訴人が贋作の商品を高額で販売した事実を摘示したとまでいうことは困難であるといわざるを得ない。

(三)  以上のとおり、本件記事等は、(1)控訴人が販売し又はそのために展示している松平不昧作の茶杓が真作であることには強い疑惑があること、(2)かかる疑惑が提示された際の控訴人の対応には問題があることを指摘するものである。そして、本件記事を掲載した「週刊文春」が不特定多数の人々に領布され、本件記事の広告が不特定多数の人々の目に触れたことは、弁論の全趣旨により明らかである。

二  次に、本件記事等中松平不昧作の茶杓が真作であることには疑惑があるとした部分について、被控訴人に名誉毀損の不法行為責任が成立するか否かについて検討する。

1  当事者間に争いのない事実、前記甲一号証、成立に争いのない乙第二及び第三号証の各一、二、原審における証人木俣正剛によりその成立を認める乙第一三号証、成立に争いのない乙第一五、第一九及び第二〇号証、原審における証人船山幹雄の証言によりその成立を認める乙第二四、第二五及び第二六号証、成立に争いのない乙第二七号証、原審における証人木俣正剛、同池田英之助、同服部智三郎、同飯田国宏、同吉田荘太郎、同池内克哉及び同船山幹雄の各証言並びに弁論の全趣旨を総合すると次の事実が認められる。

(一)  控訴人は、平成二年五月二九日から、控訴人の美術部が担当して控訴人本店で第二〇回茶道具展を開催したが、飯田好日堂から、松平不昧(一七五一年―一八一八年)の作であるとして茶杓が出品され、右茶杓は六〇〇万円の価格で販売のために展示された。この茶杓は、茶杓本体、筒、箱と松平不昧から朽木龍橋宛の手紙からなるものであり、筒には「陶靖節」の銘が書き込まれており、箱には「白酔庵観阿」と「小堀宗慶」の各箱書がある。

また、昭和六三年には、同様に控訴人が開催した第一八回茶道具展において、池内美術から松平不昧作の茶杓が出品され販売された。この茶杓は、茶杓本体、筒、内箱、外箱と松平不昧から朽木龍橋宛の手紙からなるものであり、筒には「陶靖節」の銘が書き込まれており、箱には「白酔庵観阿」、「休々斉竹翠」と「小堀宗慶」の各箱書がある。

松平不昧から朽木龍橋宛の手紙は、日付を第二〇回茶道具展のものは極月二八日、第一八回茶道具展のものは極月二〇日とするが、いずれも「先だって話したように国元からすす竹が届いたので茶杓を進上する」という趣旨である(乙第二及び第三号証の各一、二、乙第一九、第二〇、第二七号証)。

(二)  平成二年五月二二日ころ、匿名者から被控訴人に対して、控訴人が同月二九日から控訴人本店で開催する第二〇回茶道具展に、松平不昧作の茶杓が六〇〇万円で販売のために展示されるが、控訴人が昭和六三年に開催した第一八回茶道具展でも、別の松平不昧の茶杓が四〇〇万円で販売され、いずれも銘が同じ「陶靖節」であるのみならず、茶杓に添えられた手紙も、いずれも「先だって話したように国元からすす竹が届いたので茶杓を進上する」という内容であり、単語が四か所異なるだけの酷似した文章であることから、どちらかが贋作であるとする情報が届いた。「週刊文春」編集部は、その情報が具体的で、内部事情に詳しい人によるものと思われることに加え、有名百貨店である控訴人を対象とすることから、取材を行うこととし、木俣正剛、船山幹雄及び渡辺淳の三名の記者(以下、それぞれ「木俣記者」「船山記者」「渡辺記者」という。)からなる被控訴人取材チームを結成した(甲第一号証及び証人木俣正剛の証言)。

なお、被控訴人は本件投書を廃棄したと主張していること、本件記事中に本件投書の引用部分とされる部分が極めて多いこと、投書が摘示している匿名者と服部課長との二度目の電話応対がなされた日が不明確であり(証人服部智三郎は、平成二年五月二五日に行われたと証言する。)、本件投書が匿名者から被控訴人に届いた日も不明確であること等の事実を考えると、乙第一号証のとおりの投書がなされたかどうかについては疑問がないとはいえないが、被控訴人がそもそも茶道具や茶道具展に対して詳細な知識を有していたとは思われず、外部からの情報がなければ取材を開始できなかったはずであること、証人服部智三郎も、その証言中で本件投書が摘示した服部課長と匿名者との会話の存在を肯定していることなどの事実からみれば、外部の者から被控訴人に本件投書に記載されていたとされる事実が何らかの方法により情報として伝えられたものと推認すべきである。

(三)  被控訴人取材チームは、青山玉鳳堂から第一八回茶道具展と第二〇回茶道具展のカタログを入手して内容を見たところ、被控訴人に寄せられた情報のとおり、同じ銘の茶杓が出品されており、手紙の文面も似ている事実が確認できたので、専門家の意見を聞くことにし、「現代日本人名録」などを参考にして、池田瓢阿、西山松之助、白崎秀雄などの専門家をリストアップした。このうち、美術評論家の白崎秀雄からは、茶道界には贋作が多いので話す気にならないと言われ、取材を断られた(乙第一六号証、証人木俣正剛及び同船山幹雄の証言)。

(四)  平成二年五月二五日、竹芸作家で、茶道具の研究家及び鑑定の第一人者とされる池田瓢阿(英之助)は、船山記者及び渡辺記者から、問題の茶杓の写真のコピーを示されて取材を受け、第二〇回茶道具展開催前に自分の発言が週刊誌に記載されては商売の邪魔をしたことになり憎まれるので匿名にしてほしい旨断って、茶道具に造詣のある息子と共に取材に応じ、写真では真贋がよく分らない、あるいは、松平不昧が同じ銘を付けた茶杓を二本作って贈った可能性は全く否定はできないとしながらも、茶杓については、一方の景色が悪い、節の高さが違う、一方が他方を写したという趣旨の会話をしつつ、両方とも真作ということもあるかもしれないとも言ったが、手紙について、同じ手紙を二つ書くことが不自然であることから、どちらかが贋作であると言い、同人の息子は、茶杓の「どちらが本物かというのは、ちょっと……」と、贋作であることを前提とした発言をした。このほか、松平不昧作とされる各茶杓に添えられた手紙の文字は、癖のある真似のしやすい文字であること、手紙の中に松平不昧の別邸の所在地である「大崎」が登場するのも贋作らしいことなどを述べた(乙第二四号証、証人木俣正剛及び同船山幹雄の証言)。

(五)  平成二年五月二六日、茶杓の研究者であり、控訴人とも親しい立場にある西山松之助東京教育大学名誉教授は、船山記者及び渡辺記者から、二揃いの茶杓の写真のコピーを示されて取材を受け、同じ内容の手紙が二つあることはおかしいと言い、また、茶杓、筒、箱、手紙の一部のみが贋作である可能性もあり、結局、二揃いの茶杓とも、真作と贋作が入り交じっているのではないかと結論したが、茶杓そのものについては、実物を見ないとどちらが真作か判断できないとした。また、遠州流の家元であり、茶杓鑑定の最高権威者とされる小堀宗慶が、二本の茶杓に真作であることを証明する箱書をしたことについては、「同じ人が外箱を二つも書いているということは、ちょっと、ぼくには考えられないね。どういうわけで……宗慶先生に、いっぺん、聞いてみたらどうです。……困られるんじゃないかな」と言い、小堀宗慶が同様の二本の茶杓に箱書をしたことを疑問視し、同人が回答に困ると思われることを前提にしながらも、二本の茶杓の真贋について質問することを勧めた(乙第二五号証、証人木俣正剛及び同船山幹雄の証言)。

(六)  平成二年五月二七日夕方六時ころ、木俣記者及び船山記者が、あらかじめの連絡なしに控訴人を訪ねて、控訴人を取材した。両記者は、茶道具展の担当である服部智三郎課長(以下「服部課長」という。)に取材するつもりであったが、不在のため、茶道具展カタログに名前が記載されていた吉田部長を取材することとした。吉田部長は作業中であったが、立話のまま約五分間程度取材に応じ、茶道具展の美術品については、出品した古美術商が内容に責任を持つことになっているので、飯田好日堂の方へ行って話を聞いてほしいと話した(乙第二六号証、証人木俣正剛及び同船山幹雄の証言。なお、これに反する証人吉田荘太郎の証言部分は、採用することができない。)。

(七)  平成二年五月二八日、第二〇回茶道具展に松平不昧作の茶杓を出品した古美術商の飯田好日堂の当主飯田国宏は、渡辺記者の取材に対し、同様の茶杓が一昨年の茶道具展にも出品されていたとは知らなかったとしながらも、同じ銘の茶杓が複数あることは不思議ではない、酷似する手紙が二通存在することについても、松平不昧の別邸があった大崎で何度も茶会が開かれており、たまたま違う年に朽木龍橋が出席できなかったことは考えられると説明した(証人木俣正剛及び同飯田国宏の証言)。

(八)  平成二年五月二八日、第一八回茶道具展に松平不昧の茶杓を出品した古美術商の池内美術の代表取締役の池内克哉は、船山記者の取材に対し、二本の茶杓は手紙や箱が異なるし、銘が同じでもおかしくはない、結局両方真作であるという趣旨の説明をしたほか、茶杓の真贋については、買った人が贋作であると判断した場合に店が引き取ればいいのであり、買わない人から真贋を問われて応える必要はないという趣旨の話をした(証人木俣正剛、同池内克哉及び同船山幹雄の証言)。

(九)  被控訴人取材チームは、平成二年五月二八日、西山松之助の勧めに従って、小堀宗慶を取材しようと、電話で取材の申込みをしたが、留守のため申し込むことができなかった。その後被控訴人は、箱書は茶道具展商が謝礼を払って依頼すれば書いてもらえるものであるから取材する意味が疑問であること、小堀宗慶が回答に困ることが予想されるのでその配慮をしたこと、取材の主眼が控訴人の商品チェック体制にあることなどの理由から、小堀宗慶の取材をしないこととした(証人木俣正剛の証言)。

(一〇)  そのほか、被控訴人取材チームは、松平不昧ゆかりの松江市にある郷土資料館や朽木龍橋ゆかりの福知山市の郷土史家根本惟明に電話取材し、同一銘の茶杓を同一人物に贈る例は聞いたことがないなどの話を聞いた。さらに、被控訴人取材チームは、各種文献を調査したが、「茶杓拾遺集」には松平不昧の同一銘の茶杓が掲載されていないなど、二本の茶杓がいずれも真作であるとする手がかりになる資料は見当らなかった(乙第一三及び第一五号証、証人木俣正剛の証言)。

(一一)  結局、被控訴人取材チームは、取材の結果として、双方の茶杓が真作であると言った専門家がいなかったこと、贋作の多い業界であること、控訴人から納得のできる説明がなかったことなどから、少なくとも二本のうち一本は贋作の可能性が極めて高いとの判断に達し、五月二九日の雑誌記事締切前に、本件記事を作成することとした(証人木俣正剛の証言)。

2  右認定の事実によると、以下の事実を認めることができる。

池田瓢阿は、少なくとも手紙の一方は贋作であること、茶杓自体にも問題があるとの見解であるところ、同人が茶杓の最高権威者であること、同人は、控訴人と四〇年にわたる付き合いがある(証人池田英之助の証言)にもかかわらず、被控訴人の取材に対し、商売の邪魔にならないよう、記事では匿名にするよう断って取材に応じていること、同人の意見は茶道具に造詣のある息子と話合いをしながらなされたものであり、ある程度の客観性も認められること等の事情を考えると、池田瓢阿の見解は、直感的かつ率直な意見として評価すべきであり、また、西山松之助の見解は、真贋が入り交じっているというものであり、同人が茶杓研究の第一人者であること、控訴人と親しいにもかかわらず、忌憚のない意見を吐露していること、説明は一応合理的であったことからすれば、池田瓢阿とは異なる立場の専門家による意見として、真贋判断の上で重視できるものと認められる。

他方、飯田好日堂及び池内美術の見解は、前記認定のとおり、いずれも二本の茶杓がどちらも真作であるという内容であるところ、両者が茶道具に関する一流の業者(証人池田英之助の証言)として、各茶杓を真作と判断して購入し、小堀宗慶に箱書を依頼した以上、専門家の見解として無視することはできないが、しかし、両者は茶道具展の出品者であり、茶杓の真贋と極めて深い利害関係があることから、その意見を第三者的な立場にある専門家と同程度に客観的な評価とみることはできないうえ、両者とも、類似の手紙が二通存在していることについて合理的で説得力をもった説明をしているとまではいうことはできないことを考慮すると、両者の見解を重視することはできない。

そのほか、松江市郷土資料館等の見解は、茶杓の真贋について専門家や古美術商同様に重要であるとはいえないものの、茶人である松平不昧が朽木龍橋に同一銘の茶杓を贈ることが疑問であること等の見解は、参酌に値するものといえないわけではない。

以上によれば、本件における茶杓に直接利害関係のない専門家である池田瓢阿及び西山松之助の見解において、少なくとも二通の手紙のどちらか一方が贋作であることについては一致しており、同人らの見解を重視するのが相当であること、池内美術及び飯田好日堂らの見解は池田瓢阿及び西山松之助と同程度に扱うのは相当でなく、かつ、二本の茶杓が両方とも真作であるという合理的な説明がなされたとはいえないことを考慮すると、少なくとも手紙の一方が贋作である蓋然性が極めて高いと結論づけることに不合理な点があるということはできないうえ、茶杓自体については、添えられた手紙が贋作の場合に、直ちに茶杓自体も贋作とはいえないものの(証人池田英之助の証言)、本来手紙は茶杓と一揃いで茶杓の由来を伝えるものであること、同一人に同一銘の茶杓を贈った例は証拠からも認められず、被控訴人が取材を続行してもこのような例が発見されなかった可能性が高いこと、被控訴人が取材した限りで茶杓が両方とも真作であると結論づけた第三者的な専門家がいなかったことなどに照らすと、茶杓についても少なくとも一方は贋作である疑いがあると結論づけることに、十分な理由があるというべきである。

3  なお、いずれも真正に成立したことにつき当事者間に争いのない甲第三号証及び乙第七号証によると、茶杓を含む茶道具には贋作が多いことが認められる。

4 ところで、名誉を毀損されたと主張する被害者が加害者に対し、損害賠償又は名誉を回復するために適当な処分を求めて提起した訴訟において、名誉を毀損したと主張されている言明(以下「名誉毀損言明」という。)において摘示された事実の真偽については、原告(被害者)が虚偽であることの立証責任を負うものではなく、当該言明の公表が、公共の利害に関する事実に係わり、専ら公益を図る目的に出た場合に、被告(加害者)が右言明において摘示した事実の真実性を立証したときには、不法行為の要件が欠けることになると解されている(最高裁判所昭和四一年六月二三日第一小法廷判決・民集二〇巻五号一一一八頁)。右のような解釈は、刑法二三〇条ノ二の規定の趣旨が参酌されたものであることはうかがわれるが、刑法が名誉に対する罪を設けているのは被害者が暴力に訴えることを阻止するためであるのに対し、民法七一〇条及び七二三条の規定は被害者の被った損失の回復を図ることを目的とするものであって、両者はその目的を異にする制度であるうえ、名誉毀損言明において摘示された事実の真偽の扱いについては両者の間には歴史的・比較法的にも相違があること等に鑑みると、刑法二三〇条ノ二の規定の趣旨が主たる根拠をなしたものとはいい難い。むしろ、右判例は、不法行為の要件事実の立証責任につき、不法行為規範が直接規定を設けているとはいえない事項については、その立証責任の分配は、公平の観点に立ち、立証の難易、当該事実を立証するための証拠に対しいずれの当事者がより近い関係にあるか等証拠との距離などをも考慮して定めるべきであるとの考えに基づき、当該事案においては、摘示された犯罪事実等につき、その不存在の立証よりその存在の立証が容易であるから、被害者(原告)に右事実の不存在の立証責任を負わせるよりは、その存在の立証責任を加害者(被告)に負わせるのが公平であるとして、前示のような解釈を採ったものと解するのが相当である。そして、名誉には、すべての自然人に認められるべき人間としての本質的な尊厳性・価値、階層的社会の特定の地位若しくは特定の社会的役割に付与される栄誉とこれらの地位に就き若しくは役割を果たす者の得る栄誉、財産と同視しうる営業上の名声若しくは信用等があるのであり、これらは、それぞれ社会的機能を異にし、したがって法的に保護されるべき程度においても差異があってしかるべきものであり、また、そのいずれであるかにより言論の自由との関係においても調整の基準を異にすべきであると解するのが相当である。また、名誉毀損言明において摘示された事実につき、真実性の証明を抗弁とすべきであるとの考えは、右事実の虚偽性が推定されることを前提とするものであるが、わが国において右のような法律上の推定をすべき実体法上及び手続法上の根拠はなく、事実上の推定は、当該事実関係の下における経験則の適用の問題であるから、具体的事案につきその可否を判断すべきものである。したがって、右判例の理は、名誉又は信用を毀損したことを理由とする不法行為訴訟のすべての類型に対してあまねく適用されるべき準則と解すべきではなく、右判例のような事実関係の事案について適用されるべきものと解すべきである。

そして、不特定多数の者に対し多種多様な商品を販売する法人である百貨店が、特定の者の作として販売しそのために商品として陳列しているある古美術品につき、右作者の真作ではなく贋作の疑いがある旨の言明がマスメディアにより公表された場合に、百貨店が右言明の公表者に対し、それにより名誉又は信用が毀損されたとして、損害賠償又は民法七二三条所定の適当な処分を求める類型の訴訟においては、右美術品が当該作者の真作であることについて百貨店に立証責任があるものと解するのが相当である。けだし、多種多様な商品を販売する法人たる百貨店がそのために展示しているある特定の商品につき、真作と表示されているが贋作又はその疑いがあるとか、品質が表示されているそれより劣悪である等の言明が公表されたとしても、当該商品の売買の成否等に影響することはあっても、直ちに右百貨店の経営の本質、経営姿勢ないしは営業態度を誹謗しその信用又は名誉を毀損することとなるものではないことは、法人の特定の従業員に対する人格誹謗が直ちにその法人の名誉又は信用の毀損を来すものでないことと同様であり、また、小売商の営業上の虚名は社会的に害悪であっても保護するに値しないものであるから、小売商が、営業上の名誉又は信用の保護を求めるためには、自らその名に値する実を有することを示すべきであるとするのが妥当であるのみならず、百貨店が当該美術品を真作である旨明示若しくは黙示的に表示して不特定多数の者に対し販売のために陳列している場合には、その表示通りの内容を有することにつき道義的にも法的にも責任を引き受けたものというべきであるから、右美術品を現に買い受けた者との間においてその真贋が争いとなっている訴訟においてはもとより、右にような類型の不法行為訴訟における被告であるマスメディアとの関係においても、右美術品が自ら表示した作者の真作であることにつき百貨店が立証責任を負うべきであるとするのが公平であり、また、百貨店が当該美術品を真作であるとして販売しているのは、十分な調査を経て相当な資料及び根拠に基づき真作と判断したものといえ、社会的にそう期待されるべきものであるから、一般的に真贋を判別するための証拠及びその鑑定方法等の利用については百貨店の側が被告より近い距離にあるといえるうえ、百貨店の販売する商品につき贋作である又は表示されている品質より実際の品質が劣るものであること等の疑問があるとき、これを社会に知らしめるのはマスメディアの言論の自由に基づく重要な社会的機能の一つというべきであり、それを制限するについては慎重であることを要し、原告(百貨店)が右疑問に係る記事の誤りであることを立証した場合に、それにより原告が被った損害の賠償等を被告に課す方法等によって制限するのが相当であるというべきだからである。加えるに、美術品の取引は、他の物の取引に比し、真正な作と称されてもその実は贋作又は模倣品等である割合が高いことは、洋の東西を問わず見られるところであり(レオナード・ディ・デュボフ・美術法第二版(一九九三年)第六章、陳瞬臣「真贋をこえて」日本経済新聞平成六年六月五日朝刊等参照)、茶道具もその例外でないことは前示のとおりであるから、当該美術品が真正な作であることが事実上推定されるとする経験則若しくはその実質的背景はなく、したがって、右のような推定がされるべきことを前提として、これを否定する側に贋作であることについての立証責任を課すべきであることも相当ではなく、この点からしても右のように解するのが相当というべきである。

5 本件においては、有名百貨店を経営する法人たる控訴人が、不特定多数の客に対し松平不昧の作として販売し又はそのために商品として陳列している古美術品たる茶杓について、被控訴人の発行する週刊誌等によって贋作の疑いがある旨の言明が公表されたため、右言明の公表者である被控訴人に対し、右言明により名誉、信用が毀損されたとして民法七二三条所定の処分を請求しているのであるから、控訴人は右茶杓が松平不昧の真作であることを立証すべきである。

そして、成立に争いのない甲第一七及び第二〇号証並びに弁論の全趣旨によると、松平不昧の茶杓であるということは、松平不昧が当該茶杓の製作の全部若しくは一部をしたか又は下職の製作したものであっても自己の美的感性等にそった自己の製作した茶杓と同視する旨のなんらかの意思表示をしたものをいうと認めるのが相当である。したがって、控訴人としては、前示茶杓につき右の事実を立証すべきである。

なお、この点につき、事実ではなく意見である旨の被控訴人の主張は、右は、本質的には、古いとはいえ歴史的事実であって、その真偽はあくまでも証拠によって決すべき事項であり、論議を尽くしてその優劣を決すべき事項とはいえず、その本質が時の経過により証拠が乏しくなったからといって異なるものとはいえないから、採用の余地がないものというべきである。

6 控訴人は、松平不昧の作による同一銘の茶杓は複数存在しており、同一作者による同一銘の茶杓が多数存在することがあってもそれ自体なんら不思議ではないというのが茶道具界の常識であり、第一八回茶道具展及び第二〇回茶道具展において販売し又はそのために展示された茶杓は、茶杓の鑑定家としては第一人者である小堀宗慶が箱書をして真作と証明しており、さらに、内箱には松平不昧側近の道具屋である白酔庵観阿の箱書が存在しているから、これらの茶杓が真作であることは明白である旨主張し、成立に争いのない甲第一五号証(第一八回茶道具展と第二〇回茶道具展の双方の茶杓に箱書をした小堀宗慶による、双方の茶杓に箱書したことの詳細は明確に覚えていないが、自分の箱書以前に茶道具の鑑定者として一流の白酔庵観阿と休々斉竹翠の箱書があり、これを参考として真作と判断して箱書をした旨の陳述書)並びに原審における証人池田英之助及び同飯田國宏及び池内克哉の各証言中には、これにそう部分がある。しかし、証人池田英之助の証言は乙第二四号証に照らして採用することはできず、証人飯田國宏及び同池内克哉の各証言は、同証人らは前記1に認定した事実に照らすと、右茶杓の出品者であって、客観的な立場からの証言とはいえず、これらの証言をもって、控訴人が販売し又はそのために展示した茶杓が控訴人の表示した松平不昧の真作であることを証明するには足りず、また、甲第一五号証は、第一八回茶道具展と第二〇回茶道具展の双方の茶杓に箱書をしている小堀宗慶の陳述書であるが、成立に争いのない乙第五号証によると茶杓には当該作者の個性的な造形美的特徴があることが認められるところ、同陳述書には、美的考察と経験により形成された鑑識眼に基づく松平不昧の茶杓の個性的・造形美的特徴等についての自らの判断基準及びこれに基づく鑑別過程等は示されていないから、訴訟上専門家の意見として直ちに採用し得ないものであるうえ、前記1の認定事実に照らして控訴人が販売し又はそのために展示した茶杓が真作であることを証明するには足りないというべきであり、他に右茶杓が控訴人の表示した松平不昧の真作であり、右茶杓の少なくとも一方には贋作の疑惑があるとの本件記事の摘示事実が虚偽であることを認めるに足りる証拠はない(控訴人は、その真贋が問題とされている茶杓について、それが真作であることを積極的に立証すべきところ、科学的鑑定又は審美眼的鑑定のいずれも申請すらしていないことは、本件訴訟の経過に照らして明らかである。)。

7 以上によれば、控訴人が第一八回茶道具展及び第二〇回の各茶道具展において販売し又はそのために展示した松平不昧の茶杓が真作であること、すなわち、右茶杓に贋作の疑惑があるとの事実を摘示する本件記事等が虚偽の事実を摘示したものと認めるに足りる証拠がないから、被控訴人が本件記事等において右茶杓の少なくとも一方に贋作の疑惑があるとの事実を摘示し、これを公表したことは、不法行為を構成するものではないというべきである。

三  次に、本件記事においては、控訴人が茶杓の真贋について自ら調べようとせず、出品者である古美術商が負うものであるとしたという事実が摘示されており、このような事実に基づいて、控訴人の経営姿勢が不誠実であるという趣旨の意見が表明されているが、この部分の公表についての被控訴人の不法行為責任の有無を検討する。

1  百貨店は、不特定多数の者に対する商品の販売を営むものであるから、いわゆる公的な存在というべきであり、また、その経営のあり方、経営姿勢ないしは営業態度は公的な事項というべきものであり、したがって、それを批判又は誹謗する意見言明を公表した場合であっても、当該記事の公表が専ら公益を図る目的に出たものであり、右記事において意見形成の基礎をなす事実が記載され、かつ、右事実の主要な部分が真実であるか又は公表者において真実と信じるについて相当な理由があり、しかも右事実から当該意見を形成することが不当、不合理なものとはいえないときには、右意見言明の公表は不法行為を構成するものではないと解すべきである(当裁判所平成五年(ネ)第一七二二号、第一八七九号各損害賠償請求控訴事件同六年二月八日判決)。

2(一)  前示認定にかかる事実関係によると、本件記事等の公表は被控訴人が専ら公益を図る目的に出たものと認めることができるというべきである。

(二)  そして、前記乙第二六号証、原審における証人木俣正剛及び同船山幹雄の各証言によれば、平成二年五月二七日夕方六時ころ、木俣記者及び船山記者は、第二〇回茶道具展の担当者である服部課長に、匿名者の指摘した茶杓の真贋に関する服部課長、ひいては控訴人の回答を確認するために、あらかじめ連絡することなく控訴人を訪ねて、控訴人を取材したが、同課長が不在のため、第二〇回茶道具展のカタログに名前が記載されていた吉田部長を取材することとしたところ、同部長は、作業中であったが、立話のまま約五分間程度取材に応じ、茶道具展の美術品については、出品した古美術商が内容に責任を持つことになっているので、飯田好日堂の方へ行って話を聞いてほしいことなど、服部課長の匿名者に対する回答と同趣旨の発言を行ったほか、吉田部長と被控訴人記者との間で、本件記事で摘示したとおりの会話が実際に行われたことが認められ(これに反する証人吉田荘太郎の証言部分は、採用することができない。)、また、右認定の事実に照らすと、服部課長の匿名者に対する回答が本件記事の摘示どおりであると被控訴人が信じたことは、相当であったというべきである。

(三)  なお、控訴人自身への取材については、前記認定のとおり、あらかじめの連絡なしに、立話で五分間程度なされたものであるが、控訴人は、右事情に加えて、取材態様が穏便でなかったこと、控訴人の広報などを通した公式的見解でないことから、取材方法は不相当であり、被控訴人にはそもそも控訴人の話を聞く意図はなく、取材の体裁を整えるために形式的に質問をしたに過ぎないと主張する。

しかしながら、前記認定事実及び乙第二六号証によれば、吉田部長は被控訴人の記者に対しても、自発的にその質問に答えており、多忙のため取材を断ったり、広報を通して取材することを要請してはいないことが認められ、これらの事実によれば、控訴人に対する取材態様自体が不相当であったとまでいうことはできない。また、控訴人への取材時間が他の取材先に比較して短かったのは事実であり、控訴人が本件記事中その経営姿勢ないしは営業態度についての部分が公表されることにより重大な影響を受けることを考慮すれば、控訴人への取材に全く問題がなかったとはいえないが、乙第二六号証により認められる吉田部長と被控訴人記者のやりとりは、茶道具展出品の茶杓の真贋について、これ以上控訴人の関係者に聞いても意味のある反論は期待できないことをうかがわせるものであり、この段階で被控訴人が控訴人に対する取材を打ち切ったことをもって、控訴人への取材が不足であったということはできない。したがって、控訴人への取材方法が相当性を欠くものとまではいえない。

(四)  右(二)に認定の事実及び第一八回茶道具展と第二〇回茶道具展において販売し又はそのために展示された松平不昧作の茶杓の少なくとも一方は贋作の疑いがあるとの前示認定の本件記事に掲載された事実を考慮すると、控訴人は、自己の店舗において自らが売主であったか又は売主となるべき右茶杓(この点は当事者間に争いがない。)につき、被控訴人から贋作の疑惑がある旨の控訴人にとって重大な問題が提示されているにもかかわらず、自己の責任の下においてその真贋を明らかにするための措置を講ずる意向ないしは態度を全く示すことなく、専ら出品店である古美術商の責任であるとの対応に終始したというほかなく、被控訴人が、このような控訴人の対応から、その経営姿勢ないしは営業態度に誠意がないとの意見を形成し、これを公表したことをもって、不当、不合理なものであるとはいえない。したがって、被控訴人は、右意見の公表につき不法行為責任を負わないものというべきである。

(五)  控訴人は、古美術品についての品質管理体制としては、有名かつ信頼性のある美術商を選定し、その美術商に限って自己の店舗における出品を認めるという方法によっているのであり、古美術品の管理体制としてはこれで充分である旨主張し、当審証人竹内滋郎は右主張にそった供述をしている。

しかしながら、第一八回茶道具展と第二〇回茶道具展に古美術商が出品した松平不昧作の茶杓について、マスメディアの側から贋作の疑惑があることが提示されたことは、その売主であったか又は売主たるべき控訴人としては、自らが採用している古美術品についての管理体制が問われる事態に立ち至ったものというべきであり、かかる事態に直面した百貨店としては、当該古美術商の意見に依拠するのみでは足りず、公正な第三者的立場にある専門家の意見を徴する等の措置をとることが社会的に期待されているものというべきであるところ、控訴人は出品した古美術商の責任であるとの前記認定のような対応に終始したのであり、また、当時、古美術品の販売についての経営姿勢ないし営業態度は、前記主張のとおりであったことは控訴人の自認するところであるから、右のような経営姿勢ないしは営業態度が不誠実であるとの批判を受けたとしても、不当、不合理なものとまではいえない。したがって、控訴人の右主張も採用することができない。

四  結論

以上のとおり、控訴人が本件記事において控訴人の名誉毀損をしたものと指摘する事実が虚偽であるとの証明がなく、また、本件記事における控訴人の経営姿勢ないし営業態度についての意見の部分は、本件記事において右意見形成の基礎たる事実が記載されており、かつ、その事実は真実であるか又は被控訴人の前示取材チームの構成員である記者又は被控訴人において真実と信じるについて相当な理由があったものといえるうえ、右事実から控訴人の経営姿勢ないし営業態度を不誠実であるとの意見を形成したことをもって不当、不合理とはいえないものというべきであり、したがって、被控訴人の本件記事等の公表は、不法行為を構成するとはいえないものというべきである。

したがって、控訴人の本訴請求を棄却した原判決は相当であり、控訴人の本件控訴は理由がないから、これを棄却すべきである。

よって、控訴費用の負担について、民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官柴田保幸 裁判官伊藤紘基 裁判官滝澤孝臣)

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